熊本の陸上競技小史
《陸上くまもとの伝統》
明治20年代、済々黌で「徒歩競走部」「古典競技部」という名のもとに運動部が置かれ、五高で
も同じころに競走形式の運動会が盛んになり、中学の招待レースが行われるようになった。これが
熊本の陸上競技の始まりだといわれている。
その後、熊本出身の「章駄天」たちが、県内外で活躍するが、熊本の陸上史の特徴は、県出身の
選手が全国的、国際的な先鞭をつけ、それに引っ張られるように、県内の選手層もまた全国屈指の
充実ぶりをみせて行ったことである。
「熊本の体力」(熊日)や「陸上競技史」(山本邦夫)によれば、日本人として最初の国際競技
出場者は、熊本出身の福田令寿(医師・後の県教育委員長)ということになっている。
明治28年、英国留学中に開かれた全英インターカレッジでエジンバラ大学の代表として、クロス
カントリーに出場し、各国留学生も加えた国際レースで活躍した。
また日本人として最初にオリンピックに出場したのは、明治45年、ストックホルム大会・マラソ
ン代表の金栗四三であることはあまりにも有名だ。
以後、熊本関係のオリンピック陸上出場者は10人(のべ14回)、極東大会、アジア大会、その他
の国際大会を加えれば相当数に上る。
日本選手権大会では、大正2年、第一回大会マラソン優勝の金栗四三を初めとして、29人がチャ
ンピオンとなり、76のタイトルを獲得している。うち戦前の選手は男子12人、戦後は男子9人、女
子8人。種目別でみると76のタイトルのうち、中長距離が断然多く27、投擲は女子の林、内田がごっ
そり稼いで19、短距離16、その他14となる。
個人の優勝回数ベスト5は、(1)林香代子・投擲11回(2)内田弘子・投擲、豊田敏夫・短距離各6
回(4)多久儀四郎・中長距離4回(5)金栗四三・長距離、佐伯巌・短、中距離、布上正之・長距離、
障害、浦田春生・長距離各3回ということになる。
このほか、戦前の明治神宮競技大会や戦後の国民体育大会、インターハイなどの全国大会での活
躍をあわせれば、文字通り全国でも指折りの輝かしい歴史をもつ「陸上くまもと」と言えそうである。
《熊本陸協の発足》
熊本で本格的な陸上競技がスタートしたのは、金栗四三の教えをうけた宇土虎雄が九州学院に赴
任し、本職の柔道のほか、陸上、バレー、ラグビーなどの近代スポーツを指導しはじめた大正5年
ごろからである。大正7年に熊本体育研究会が出来て日本陸連に加盟し、同13年には、水前寺グラ
ウンドが完成して、陸上競技という呼び名も定着し、明治神宮大会への参加と併せて、県下の陸上
界に組織的な動きが始まった。
戦前の組織を復興するかたちで、現在の「熊本陸上競技協会」が発足したのは、終戦の翌年、昭
和21年の2月15日。熊本県体育会(現在の県体協)の創立(4月1日)より一足早く、体育会の初
代会長に金栗四三が予定されていたため、陸協は宇土虎雄を初代の会長、五高教官の吉田三二を理
事長としてスタートした。(体協に合わせて4月1日を創立日としたという説もある)
その年から五高武夫原や済々黌のグラウンドを中心に、各種の県大会、日鉄八幡との対抗戦など
が開かれ、国体や復活した日本選手権大会でも県選手の活躍がみられ始めた。

《戦後の第一期黄金時代》
戦後第一回の県選手権は昭和22年、五高武夫原で開かれた。当時の中心選手は国体や日本選手権
でも活躍した投擲の松尾万寿、金守新一、棒高跳びの森脇篤人、ジャンプの佐川憲昭ら。中でも走
り幅跳びの佐川(熊本医大)は23,24年の日本選手権者、29年のアジア大会では三段跳びと合わせ
て2種目優勝を果たしている。
25年に清藤亨らの九州学院が熊本勢として初のインターハイ総合優勝、30年には済々黌、32年に
は熊本工がつづいた。また、26年には新装の水前寺競技場で日米対抗陸上が開かれ、27年には玉名
高の全国高校駅伝優勝、31年のメルボリン・オリンピックには短距離の清藤が出場した。30年には
日本マラソンの父と呼ばれた金栗四三がスポーツ人として初の紫綬褒章を受賞、32年から第一回の
金栗記念熊日招待マラソン(30キロ)がスタートした。そして、35年には県民待望の熊本国体が開
かれて、地元勢が大活躍、戦後第二期の黄金時代と呼ばれた。

《第二期は成熟の時代》
円盤の内田弘子、短距離の井口任子が参加した東京五輪(39年)から昭和50年代にかけて、熊本
の陸上は女子の活躍が目立った。内田は日本選手権6回優勝、砲丸の林香代子は47年から10年連勝、
円盤も加えると計11回の日本一に輝いている。五種競技の福島美智子が2連勝。少し下がって、日
本中を感動きせた女子1万米の松野明美の力走。
ソウル・オリンピックでは苦杯をなめたが、代わって同種目の川上優子がアトランタで7位入
賞、シドニーでも10位に入った。京都の全国都道府県対抗女子駅伝の優勝と併せて、女子の活躍が
目立っている。
男子では100,200で日本選手権6回優勝の豊田敏夫、長距離4回でバルセロナに出た浦田春生、
昭和60年、熊日30キロで驚異的な道路日本最高を西本一也。
さらに、中学、高校駅伝の上位入賞など長距離勢の活躍が目立つなかで、平成12年には短距離の
末續慎吾がシドニーで大健闘、400リレーで6位入賞を果たした。

《連続の全国大会の開催》
平成6年から水前寺で全国選抜陸上中長距離大会を開き、同5年には、戦後の「陸上くまもと」
を支えてきた冨永勝美らの努力で全国中学校駅伝大会の熊本開催が実現、熊本城二の丸公園で連続
4回の開催で全国の注目を集めた。
同10年、KK-WING完成と同時に九州で48年ぶり、熊本では初めての第82回日本選手権大会
とジュニア選手権大会を同時開催、2つの日本新記録が生まれた。翌年は待望の第54回国体が開か
れ、ここでも2つの日本新記録が誕生した。ひきつづき全国身障者大会、全国マスターズ選手権大
会、平成13年には全国高校総体を開催、それらを通じて熊本陸協の見事な競技運営と女子審判員の
活躍など審判体制の充実ぶりが話題になった。選抜中長距離大会は、12年から.「金栗記念」と冠して
「日本マラソンの父」の努力と業績を末長く顕彰していくことにしている。

《オリンピック選手》
    金栗 四三   (東京高等師範学校)              (第5回ストックホルム マラソン)
    金栗 四三   (東京高等師範学校OB )        (第7回アントワープ マラソン)
    金栗 四三   (東京高等女子師範学校教)    (第8回パリ マラソン)
    戸上 研之   (関西大学)                            (第11回ベルリン 走幅跳)
    谷口 睦生   (関西大学)                            (第11回ベルリン 200m 4×100m)
    清藤   亨     (熊本相互銀行)                    (第16回メルボルン 100m 200 4×100m)
    内田 弘子   (リッカーミシン)                      (第17回ローマ/東京 円盤投)
    井口 任子   (リッカーミシン)                      (第18回東京 4×100m)
    豊田 敏夫  (新日鉄八幡)                       (第20回モスクワ 100m 200m)日本不参加
    松野 明美   (ニコニコドー)                        (第24回ソウル 10000m)
    浦田 春生   (中央大学)                            (第25回バルセロナ 10000m)
    川上 優子   (沖電気宮崎)                        (第26回アトランタ 10000m)
    川上 優子   (沖電気宮崎)                        (第27回シドニー 10000m)
    末續 慎吾   (東海大学)                            (第27回シドニー 200m 4×100m)